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2011年11月22日

第348号 ルター小教理問答書の勧め〜⑤主の祈り

執筆:田口聖牧師

「私たちにも祈りを教えてください」(ルカ11章1節から)

 

主の祈りは、イエスが弟子達に「こう祈りなさい」と教えた祈りです。この主の祈りも、律法と福音をどこまでも土台としています。それは祈り(いかなる祈りであっても)は私達から始まるもののではなく、どこまでも神様の言葉に始まるものであることを示しています。

私達はどこまでも罪深く、救いや神の国に対しては無力なものです。十戒は、私達の罪と私達が自らでは決して律法を満たし得ない、救い得ないことを示し、使徒信条は、私達にはできないことを、父子聖霊なる主がしてくださったことを示していることを見てきました。

祈りであってもそうです。私達はその罪ゆえに自ら神に祈ることはできないものです。たとえ祈ったとしてもそれは罪深い祈りになってしまいます。そこには、自己義認があったり、神と取引しようとする試みがあったりします。ある牧師はいいました。「その時、祈りは、無駄な不敬虔な道具となり、そして父なる神が私達に与えようとしていること以上にむしろ私達が欲する答えを、神の手からなんとか引き出そうとする、自分自身の利益のための企てとなってしまう。祈りが神のことばから離れてしまったら、それは罪人達が、彼等自身の意思を地上でなそうとする愚かな試みとして、神に対抗するために用いようとする武器へと変わってしまう。」(p74、Prayer:The Voice of Faith, by John T.Pless, from “We believe”, Concordia Theological Seminary Press,2000)

神によらない、私達自身から始まる祈りは、決して罪から自由ではありません。どんな表向きは立派で、感動するような言葉、そして長い祈りであっても、私達自身の、肉による祈りは、その心はいつでも独り善がりで、自分自身に向いているものです。イエスは、「人に見られたくて」会堂や通りの四つ角に立って祈る、見た目は経験な祈りであっても、それを「偽善者の祈り」と厳しく言いましたが(マタイ6:5)、自分自身(私自身)を吟味して認めざるを得ないように、肉においては、誰もがこのような祈りになりうる、罪の性質を気付かされます。弟子達は、祈りを教えて欲しいといいました。それに対してイエスは祈りや祈り方が分からないのか責めるのでも突き放すのでもなく「祈る時にはこう祈りなさい」といって祈りを教えてくれたのです。イエスは、そのような祈ることがわからない、祈ることさえどこまでも独り善がりで自分中心な、私たちの罪をご存知だからこそ、ご自身の口とことばをとおして私たちに祈りを教えてくださったのが主の祈りなのです。

その祈りは律法ではありません。この祈りには私たちが従うべき、なすべき、答えるべき、戒めがあるのだと言う人がいますが、それは間違いです。この祈りは、「父よ。お父さん」という父なる神への信頼。そして「御名があがめられるように。」「御国が来ますように。」「みこころが天で行われるように地でも行われますように。」と続いているように、神への信頼を教えていることがわかります。神は必要なすべてを満たしてくださる方であるという祈りであることがわかるのです。日々の糧も主が満たしてくださる。そして何より、罪の赦しは主から来た。「赦すこと」も、私たちには無力ですが、み言葉と聖霊の助けと力は、私たちを赦すことへと導いてくださる。イエス様が、祈ることさえも自己中心な罪深い私たちに、教えてくださった幸いな祈りであり、恵みなのです。パウロが伝えたように、「私たちは御霊によって、「アバ。父」と呼」(ローマ8:15)ぶことができる。主の祈りはまさに「天にいます私たちの父よ」ではじまる、イエス様が教え、聖霊が導く、祈りの中の祈りです。

「祈りは人間の心に始まるのではなく、神の御子の福音において、私たちに語られているいのちと救いのことばを聞くことに始まります。〜ちょうど信仰がキリストのことばを聞くことによって来たように、祈りもまた主の言葉によって創造され促されるのです。」(p73、Prayer:The Voice of Faith, by John T.Pless, from “We believe”, Concordia Theological Seminary Press,2000)

 

「天にましますわれらの父よ」

 

この意味は。

 

答 ー 神はこれによって、神がわれわれのまことの父であり、われわれが神のまことの子であることを信じ、ちょうど愛する子供達が、その愛する父に求めるように、全き信頼と安心とをもって神に求めることをお進めになります。

 

父なる神様が愛する私たちに与えてくださった祈り。神様は私達への愛を持って、ご自身に、信頼と安心をもって求めるように与えてくださった祈りです。信頼をもって「天にまします我らの父よ」と祈って行きましょう。

 

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